バンジャマン・コンスタン

 バンジャマン・コンスタンはフランス系スイス人の作家や政治家(1767ー1830年)。若い頃からスタール夫人と出会い、深い影響を受け、恋仲となる。ナポレオンとの対立でドイツに亡命し、そこでロマン主義の影響を受ける。『アドルフ』を執筆し、ロマン主義の代表的な人物の一人となる。晩年はリベラリズムを推進する議員として活躍する。

コンスタン(Benjamin Constant)の生涯

 バンジャマン・コンスタンはスイスのローザンヌで軍人の家庭に生まれた。ドイツのエアランゲン大学やイギリスのオックスフォード大学、スコットランドのエジンバラ大学で学んだ。

 スタール夫人との出会い

 1789年にフランス革命が起こった。コンスタンは共和主義者として、革命支持者として活動した。1795年、スタール夫人などと出会い、交流をもった。彼女のサロンに通い、思想的・文学的影響を強く受けた。次第に深い関係になり、愛人となった。スタール夫人とともに故郷のローザンヌに移った。そこでは、シュレーゲルなどとともに、スタール夫人を囲むサークルが生まれた。

 ナポレオンへの支持と対立

 コンスタンはスイスからフランス革命の動向を注視していた。それのみならず、様々な政治的パンフレットを公刊して、革命の動向に影響を与えようとした。当時の総裁政府へのクーデターを支持した。この頃、ナポレオンが台頭し始め、周辺国を征服していった。スイスもまたフランスに併合された。そこで、1798年、コンスタンはフランス国籍を取得した。

 1799年、ナポレオンが総裁政府へのクーデターを成功させた。ブリュメール18日のクーデターである。コンスタンはこれに支持を表明した。この執政政府の一員に加わった。しかし、1802年、ナポレオンの不興を買い、政府から追い出された。
 コンスタンはスタール夫人とともに、ナポレオンの独裁政治を批判し、共和主義を推進しようとした。そのために、1803年、『アメリーとジェルメーヌ』を創刊した。だが、ナポレオンの絶大な人気の中で、亡命を余儀なくされた。

 ドイツでの亡命:『アドルフ』

 亡命先のドイツでは、望外の知遇を得ることができた。ゲーテやフリードリヒ・シラーと交流をもつことができたのだった。ロマン主義の影響を受け、『アドルフ』を執筆した。

 この作品の主人公は名家の青年アドルフである。アドルフは生の倦怠に悩んでいた。ある日、友人の妾エレノールと知り合い、試しにエレノールを誘惑した。エレノールの愛を勝ち取る間に、彼女を愛するようになった。だが、エレノールがついにアドルフのものになったとき、アドルフは彼女を重荷に感じるようになり、別れようとする。エレノールは別れにショックを受け、苦悩の末に死んでしまう。

 この作品は恋愛の精緻な心理分析に定評がある。生の倦怠と愛の儚さをテーマとした点で、ロマン主義文学の代表作の一つとして知られる。厳密にはコンスタンの自伝的小説とはいいがたい。彼自身にとっては、これは憂鬱の小説だった。スタール夫人らとの恋愛の経験が活かされているといわれている。

 その頃、コンスタンは1808年に密かにシャルロット・フォン・ハルデンベルクと結婚した。だが、スタール夫人との知的な関係はまだ途切れることなく続いた。コンスタンは宗教心の危機を経験する。別の女性への恋愛が始まる。スタール夫人との関係も終わった。ギャンブルで財産を吹き飛ばすこともあった。

 パリへの帰還

 1814年、ついにナポレオンが戦争で敗北した。コンスタンは『征服と簒奪の精神』でナポレオン批判を展開した。様々なパンフレットを公刊して、出版の自由や立憲政治を擁護し、リベラルなジャーナリズムの主導的人物の一人として活躍した。
 1815年、ナポレオンがエルバ島から脱出し、いわゆる百日天下が始まった。ナポレオンはコンスタンを政府に受け入れた。コンスタンは国務評議会のメンバーとなった。再びナポレオンが戦争で負けた際には、和平条約の交渉にあたった。

 晩年

 ナポレオン後の新体制のもと、1817年や1819年には下院議員として選出された。言論の自由や奴隷制などにかんして演説を行うなど、リベラリズムの代表者の一人として活動した。7月革命が起こった際には、ルイ・フィリップの擁立などに尽力した。
 同時に、著述や研究の活動にもはげんだ。1810年代には『代議政体論集』や「古代人と近代人の自由」を公にした。さらに、1820年代に『宗教論』や『政治・文学論集』などを公刊した。
 1830年に没した。国葬が行われた。

 コンスタンと縁のある人物

ナポレオン1世:コンスタンの政敵にも主君にもなった人物。フランス革命の流れでヨーロッパを席巻した。コンスタンはナポレオンが驚くほど自分に似ていると評していた。

スタール夫人:コンスタンに多大な影響を与えた愛人。ネッケルの娘であり、サロンを取り仕切ったマダムの中でも代表的な人物。

バンジャマン・コンスタンの肖像画

バンジャマン・コンスタン 利用条件はウェブサイトで確認

コンスタンの主な著作・作品

『アドルフ』 (1816)
『宗教論』(1824ー31)
『赤い手帳』 (1907刊)
『セシル』 (1951刊)

おすすめ参考文献

コンスタン『アドルフ』中村佳子訳, 光文社, 2014

堤林剣『コンスタンの思想世界 : アンビヴァレンスのなかの自由・政治・完成可能性』創文社, 2009

Helena Rosenblatt(ed.), The Cambridge companion to Constant, Cambridge University Press, 2009

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