ドミニク・アングル:フランス近代の新古典主義

 ドミニク・アングルはフランスの画家(1780ー1867)。若い頃はナポレオンの画家ダヴィドに師事した。ローマ留学でイタリアの影響を受けた。パリに戻った後、様々な名作をうみだし、名声を確立していった。新古典主義絵画の主導者として認知される。ロマン派のドラクロワのライバルとみなされた。代表作には、「グランド・オダリスク」などがある。最初のパリ万博にも出展した。様々な作品の画像つきで説明する。

アングルの生涯

 ドミニク・アングル(Dominique Ingres)はフランスのモントーバンで生まれた。10歳の頃から、トゥールーズの王立美術学校で新古典主義の絵画を学んだ。また、アングルの父は画家や彫刻家でもあり、その影響も受けた。

 ダヴィドへの師事

 1797年、アングルはパリに移った。その頃、パリはまさにフランス革命の渦中にあり、混乱していた。その中で、ジャック=ルイ・ダヴィッドが政治家としても活動しつつ、ナポレオンの画家としても名声をえていた。アングルは彼に師事した。

 1801年、アングルは「アガメムノンの使者たち」でローマ賞を獲得した。これで、給費によってローマで絵画の修行ができることになった。だが、革命の混乱により、すぐには出立できなかった。

 この時期、ナポレオンが対外拡張を行い、イタリアなどから優れた美術作品をパリのルーブル美術館などに移送させていた。アングルはそれらの作品から学ぶことができた。ナポレオンの肖像画などを描いて、生計を立てた。また、サロンにも出入りするようになった。

この時期の肖像画作品

 ローマ留学

 1806年から、ローマに移った。古典古代の作品に感銘を受けた。特に、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂などに感動した。

アングルの描いたヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂

 ローマ賞による給費の受け取りが満了した後も、アングルはフランスには戻らなかった。肖像画の発注を受けて生計を立てながら、修業を続けた。

この時期の肖像画作品

 この時期に「グランド・オダリスク」(1814)のような名画をうんだ。1820年にフィレンツェに移った。モントーバン大聖堂のために、『ルイ13世の誓い』の制作に没頭した

 パリでの活躍

 1824年、アングルはパリに戻った。まずはサロンにて「ルイ13世の誓い」を出展し、大成功を収めた。1827年、「ホメロス礼賛」が名画として高い評価を得た。ドラクロワのロマン派のライバルとして、アングルは古典派の主導者と目されるようになった。美術学校で教えるようになり、学長にもなった。レジオン・ドヌール勲章も授与された。

この時期の作品のオダリスク

 だが、1834年、アングルはサロンなどでの評価に不満を抱き、再びフランスを去る。1835年、ローマのフランス・アカデミーの館長をつとめた。管理業務が多く、絵画に打ちこんだ時間は少なかった。1841年には再びパリに戻った。同年、「ストラトニス」を発表し、好評をえた。

ドミニク・アングルの肖像

ドミニク・アングル 利用条件はウェブサイトにて

「デッサンは芸術の真髄である」(アングル)

晩年

 アングルは名声を確立していき、市庁舎のための作品なども制作した。宗教画も描いた。

この時期の作品、聖母マリア

1855年、最初のパリ万国博覧会に出展し、フランスの代表的な画家として認知された。なお、第二帝政のもとで、元老院の議員にもなった。
 その後も、「トルコ風呂」(1863)などの名画を世に送り出した。肖像画も多数描いた。

 彼の絵画はセザンヌやドガやルノワール、キュビズムなどに影響を与えることになる。

 こういう面白い解説もあります

美術評論家として人気の山田五郎さんがYoutube公式チャンネルにてお送りするアングルの解説

 アングルと縁のある人物


ドラクロワ:当時アングルのライバルとみなされたロマン主義の画家。『民衆を導く自由の女神』で有名。ちなみに、これはフランス革命に関する絵画ではなく、あの革命にかんするものだった。

J.L.ダヴィド:アングルの師匠。フランス革命の時期、ナポレオン1世のお抱え画家として有名。

アングルの代表的な作品


『ホメロス礼賛』 (1827)
『モアテシエ夫人』(1841)
『トルコ風呂』 (1859ー63)

画像の利用


おすすめ参考文献


木村三郎監『新古典主義美術の系譜』中央公論美術出版, 2020
Sarah Betzer, Ingres and the studio : women, painting, history, Pennsylvania State University Press, 2012

Susan L. Siegfried, Ingres : painting reimagined, Yale University Press, 2009

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