フェルディナント1世は神聖ローマ帝国の皇帝(1503ー1564)。ハプスブルク家の出身で、カール5世の弟。オーストリアとハンガリーそしてボヘミアの統治者となった。帝国では、兄カールのかわりに、統治を行った。宗教改革による宗教戦争では、寛容の精神で、1555年のアウグスブルクの宗教和議に尽力した。その後、皇帝になり、オーストリア・ハプスブルクの創設者となった。
フェルディナント1世(Ferdinand)の生涯
フェルディナント1世はスペインのアルカラ・デ・エレナスでスペイン王フェリペ1世の子として生まれた。兄には、神聖ローマ皇帝カール5世がいる。
オーストリアの支配
兄のカールはスペイン王カルロス1世として即位し、さらに、1519年には神聖ローマ皇帝カール5世として即位した。1521年、フェルディナンドはカールからオーストリアの領地を与えられた。当初、ウィーンの評議会が反乱を起こしたが、フェルディナントはこれを鎮圧した。
ボヘミアとハンガリーの王
この時期、スレイマン大帝のオスマン帝国がヨーロッパ進出を本格的に企てていた。スレイマン以前から、オスマン帝国はヨーロッパへと進出し始めており、バルカン半島を獲得した。その後、ハンガリーとの戦争に至った。1526年には、ハンガリー王でボヘミア王のラヨシュがオスマン帝国との戦争うで没した。
これがフェルディナントにとっては幸運だった。ラヨシュはフェルディナントの妃の弟だった。それゆえ、フェルディナントはボヘミアとハンガリーの王位を要求したのである。さほど支障なく、ボヘミア王には即位できた。ハンガリーでは強い反発が生じたため、ハンガリーは分裂状態に陥った。
第一次ウィーン包囲
その頃、オスマン帝国はスレイマンのもとで、さらにヨーロッパを西へと進撃していた。1529年には、第一次ウィーン包囲を行った。フェルディナントは兄カール5世の助力をえながら、どうにかウィーン防衛に成功した。だが、その後も1531年や1541年などにオスマン帝国と交戦した。オスマン帝国はハンガリーに強い影響力を保った。
ドイツの支配:アウグスブルク宗教和議へ
ドイツでは、カールはドイツを離れることが多かった。そこで、フェルディナントはしばしば、ドイツでの帝国支配を実質的にカールの代行者として行った。
ドイツでは、1517年から、ルターの宗教改革が起こった。皇帝カール5世はカトリックの守護者を自認し、すぐにルター主義を禁止した。だが、プロテスタント諸侯がルター主義を支持した。ルター主義者は信仰の自由を求めた。だが、カールはこれを認めなかった。
ルター主義者は自衛などの目的で、シュマルカルデン同盟を結成した。1546年、ついに両者のシュマルカルデン戦争が起こった。フェルディナントはカールを支え、この戦いで勝利した。
だが、プロテスタント諸侯はその後も勢力を保持したため、その戦いでカトリックが決定的な勝利を収めたわけではなかった。フェルディナントはルター派を力づくで抑えるだけでは、ドイツ国内の問題が解決されないと考えた。そこで、プロテスタント諸侯と協議し、両派の和解につとめた。
1555年、ついにアウグスブルクの宗教和議に至った。そこでは、ドイツのそれぞれの領主がルター主義かカトリックのどちらかを選べる仕組みが導入された。
所領での対抗宗教改革
他方、ルター主義者は近隣諸国でも勢力を拡大していった。たとえば、ボヘミアでも定着し、反乱を起こした。フェルディナントはこれを鎮圧した。
フェルディナントはルター派の躍進にたいして、カトリックの巻き返しを図った。対抗宗教改革を推進した。たとえば、ウィーンにはルター派と戦いための司教を二人任命した。プラハ大司教を任命した。
プラハには、15世紀前半のフス派の時代から、プラハ大司教は空位だった。さらに、フェルディナントは新設されて間もないイエズス会を自身の所領に導入した。彼の指導の下、オーストリアの多くの名家がカトリックに改宗した。
とはいえ、上述のアウグスブルクの宗教和議にみえるように、フェルディナントは寛容の精神の持ち主でもあった。そのため、彼が没する頃、たとえばウィーン住民の5分の4がルター派であったと推定されている。
オーストリア・ハプスブルク家の創設
1556年、カールは皇帝を退位した。1558年、フェルディナントが正式に神聖ローマ皇帝フェルディナント1世として即位した。フェルディナント1世の名はこの皇帝としての名である。その後も融和策をとった。
カール5世はスペインを息子のフェリペ2世に与えた。その結果、ハプスブルク家はオーストリアとスペインの二つに分かれた。フェルディナント1世はオーストリア・ハプスブルクの創設者である。
フェルディナントと縁のある人物
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フェルディナント1世の肖像画
おすすめ参考文献
菊池良生『図説神聖ローマ帝国』河出書房新社, 2009
R.J.W.エヴァンズ『バロックの王国』新井皓士訳, 慶應義塾大学出版会, 2013
Howard Louthan, The quest for compromise : peacemakers in Counter-Reformation Vienna, Cambridge University Press, 2006