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ウィリアム・ホガース

 ウィリアム・ホガースは18世紀イギリスの画家(1697ー1764)。この時代の風刺画家として有名。当時発展しつつあったイギリス議会政治や社会を風刺した。美術理論の著述も行った。著作物の海賊版対策として、著作権法の成立にも貢献した。『当世風結婚』などが代表作。作品の貴重な画像とともに説明する。

ホガース(William Hogarth)の生涯

 ホガースはロンドンに生まれた。当初は銀細工師のもとで見習いとして働いた。 そのかたわら、絵画にも興味をもち、学んでいった。徒弟期間中にも作品を制作し始め、風刺画の才能を開花させた。
 ホガースは徒弟期間を終え、版画で生計を立てるようになった。1720年代から、銅版画家として活躍した。特に肖像画で人気を得るようになった。

 結婚と道徳的な風刺画:『娼婦一代記』

 1729年、ホガースは画家のジェームズ・ソーンヒルの一人娘と密かに結婚した。だが、ゾーンヒルは娘とホガースの結婚を受け入れようとしなかった。そこで、ホガースは結婚を受け入れてもらうべく、『娼婦一代記』を制作した。これは道徳的な寓意を含んだ版画の大作だった。 ゾーンヒルはこの作品がホガースのものだと知り、結婚を賛成するようになった。ホガースの最初の道徳的な風刺画の大作はこのようにしてうまれた。


 『娼婦一代記』は社会的にも大成功をおさめ、ホガースの名声を高めた。ホガースは同時代の道徳的なテーマを芸術作品で扱うことに打ち込んでいった。

『娼婦一代記』 利用条件はウェブサイトで確認
『娼婦一代記』より、逮捕されるシーン

 イギリスのジャーナリズムへの貢献

 ホガースは様々な風刺画を制作した。その一つとして、ホガースは次のような政治的な風刺画を作成した。ホガースが生きた時代、イギリスは1688年の市民革命後の新たな時期に入っていた。市民革命によって当時の国王ジェームズ2世が追放された。別の王がオランダから到来し、新たな体制が始まった。だが、政治の実権は次第に議会に移っていった。
 18世紀前半はイギリスで議会政治が成熟していく時期だった。その頃、初代首相のウォルポールがホイッグ党を率いて、政権を担当した。ウォルポールは卓越した政治家として今日においても有名な人物である。だが、同時に、自身の政策を実現するために、大々的に賄賂を用いるようなこともした。そのため、ジョナサン・スウィフトらによって政権批判も活発に行われた。ジャーナリズムの勃興の時期でもあた。ホガースはこのような黎明期の議会政治において、ホイッグ党の金権政治などの風刺画を描き、ジャーナリズムの勃興に風刺画という方法で寄与した。ただし、晩年までは、ホガースは政治的な中立性を保持していた。

 著作権を守るホガース法の成立へ

 当時、ベストセラーとなった彼の本を海賊版として売る業者が多く存在した。というより、当時はまだ著作権の概念が確立していなかった。むしろ、その黎明期であった。
 ホガースがこれに貢献した。すなわち、海賊版の出版差し止めを禁止するために活動した。これがホガース法として、1735年に制定された。

 ホガースの多様な活動

 この頃、ホガースは、没した義父の美術学校を相続した。また、病院などの慈善事業にも積極的に関与するようになり、それらのために宗教画を描くこともあった。

 1740年代には、ホガースは再び肖像画に関心を抱くようになり、描くようになった。自画像も描いている。もっとも、風刺画を捨て去ったわけでなく、これらも作成し続けた。有名な作品としては、『当世風結婚』や『えび売りの娘』などがある。

『当世風結婚』

 『当世風結婚』は当時の上流階級の生活にかんする風刺画である。6枚の絵で一つの物語が紡がれている。当世風の結婚、すなわちこの時代の流行の結婚とは、新興ブルジョワ階級が貴族の身分をえるために行うような結婚である。これは同時代のフランスでもみられたような結婚であり、すでにモリエールの演劇『町人貴族』の主題となっていた。ホガースはこのような結婚の愚かさを描いている。

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『当世風結婚』より

 『当世風結婚』では、没落した貴族の男性が息子を、新興ブルジョワ身分でロンドン市議会議員の男性が娘を結婚させる。貴族は金を、ブルジョワは高貴な身分を手に入れるためである。貴族の父親は利己心と虚栄心が強く、浪費家でもある。ブルジョワの父親はこの貴族との結婚の価値と費用を値踏みする。息子と娘は結婚にも結婚相手にも関心をもたない。息子は放蕩生活に明け暮れている。娘は上流生活にあこがれている。
 このような利己心と虚栄心そして上流生活への憧れと浪費によって結婚が成立する。新たな夫婦はこのような結婚には無関心であり、あるいは軽蔑すらした。このような上流階級の生活の道徳に反する側面や趣味の悪さ、流行を追いかける生活の空虚さなどが表現されている。

絵画論:『美の分析』

 著述活動も行った。主著は『美の分析』(1753 年)である。これは後にロマン主義文学に大きな影響を与えることになる。そこでは、美が曲線や波打つ線に見られる均一性の結合から成るものであり、丸く膨らんだ図形が最も目を楽しませると論じられた。様々な実例つきで説明された。

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美の分析より

 
 1757年、ホガースは宮廷画家に選ばれた。その結果、政治的中立性は崩れた。そのため、政敵との論争も生じた。次第に体調を崩すようになり、1764年に没した。

ホガースと縁のある人物

スウィフト:同時代の風刺作家。『ガリヴァー旅行記』で知られる。この時代のイギリスのジャーナリズムや風刺文化を知るうえで欠かせない人物。

ホガースの肖像画

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おすすめ参考文献

中村隆『ホガースの時代 : 版画で読むイギリス』山形大学出版会, 2023

Matthew Craske, William Hogarth, Princeton University Press, 2000

Robert L.S. Cowley, Marriage à-la-mode : a re-view of Hogarth’s narrative art, Manchester University Press, 1983

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