50音順の記事一覧を公開しました!リストはこちらから

ルイス・デ・グラナダ:キリスト教のベストセラー作家

 ルイス・デ・グラナダは16世紀スペインの聖職者で神学者(1504ー1588)。その徳の高さと学識で知られ、ポルトガル王室での聖職も任された。学者としても多産であった。特に『罪人の導き』は様々な言語に翻訳されて広く読まれた。これからみていくように、本書は日本との関連でも重要な書となった。

ルイス・デ・グラナダの生涯

 ルイスはグラナダで貧しい家庭に生まれた。幼い頃から教会の施しを受けることで生計を立てた。教会の学校で読み書きなどを学んだ。幸運にも、アルハンブラ宮殿に住んでいた貴族メンドーサ家に仕えることができた。そこでメンドーサ家の子息とともに学習を継続できた。

 ドミニコ会へ

 ルイスは成人してから、カトリックの修道会のドミニコ会に入った。そこで学問をつづけ、哲学などを学んだ。メキシコへの宣教活動への参加を志願することもあった。当時はスペインがメキシコのアステカ帝国を滅ぼした後、宣教活動を本格化させていた。だが、ルイスはこの宣教活動には参加できず、スペインにとどまった。1540年代なかばまで、祈りや説教や研究を行った。

 説教師としての成長と名声

 次第に、ルイスは説教師として頭角を現した。そのため、別の地域で説教を行うことが許可された。ポルトガルとの国境近くで説教を行うこともあった。ルイスの名説教の評判はポルトガルにも知れ渡った。

ポルトガルへ

 そのため、ポルトガルのエンリケ枢機卿からお呼びがかかった。1550年頃、ルイスはエヴォラの修道院に移り、働いた。ポルトガルでも、彼の学識や徳の高さはすぐに周知されることになった。そこで、女王の聴罪師に任命された。これ以降、ルイスはリスボンで活動することになる。

 『罪人の導き』

 ルイスは説教をし、著作を公刊し、貧しい人たちのため働き続けた。最も有名な著作は、1556年頃に出版された禁欲主義的な『罪人の導き』である。

 本書はトマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』に比肩されるほどの影響力をもった。原本はスペイン語で書かれた。本書はすぐに大成功を収めた。しかし、当時のスペインでの異端対策にひっかかり、1559年に教会から発禁処分をくだされた。この処分は1580年代に最終的に撤回された。

 本書はルトガル語やイタリア語、ラテン語やフランス語などに翻訳された。しかも、『罪人の導き』が底本となって、日本では『ぎや・ど・ぺかどる』が作成された。

 清貧の継続

 ルイスはその後も数多の著作を公刊して成功した。そのかたわら、教会での昇進のチャンスが何度も訪れた。たとえば、ブラガ大司教区などでの要職を提案された。だが、ルイスは固辞した。教皇シクストゥス5世は枢機卿の地位を与えようとしたが、これも固辞した。だが、禁欲的な生活を生涯続け、死ぬまで清貧を貫いた。

ルイス・デ・グラナダの肖像画

ルイス・デ・グラナダ 利用条件はウェブサイトにて

『罪人の導き』の表紙

罪人の導き ぎいあ・ど・ぺかどる 利用条件はウェブサイトで確認

おすすめ参考文献

折井善果『キリシタン文学における日欧文化比較 : ルイス・デ・グラナダと日本』教文館, 2010

William J. Farge, The Japanese translations of the Jesuit mission press, 1590-1614 : De imitatione Christi and Guía de pecadores, Edwin Mellen Press, 2002

タイトルとURLをコピーしました