50音順の記事一覧・リストは「こちら」から

ウッドロー・ウィルソン:世界大戦後の理想

 ウッドロー・ウィルソンは20世紀初頭に活躍したアメリカの政治家で学者(1856―1924)。第28代アメリカ大統領(在職は1912−21)。政治学者として活躍した後、政界に入り、すぐに大統領に選出された。国内の労使問題等で成果をあげた。第一次世界大戦では、国際連盟の設立や民族自決をうたった平和14か条を出し、戦争終結に寄与した。  以下、ウッドロー・ウィルソンの記録された音声と肖像画像を楽しめます。

ウッドロー・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)の生涯

 ウィルソンはアメリカ合衆国のヴァージニア州スタントンで卜しの家庭に生まれた。プリンストン大学とヴァージニア大学で政治学を学んだ。1886年、ジョンズ・ホプキンズ大学で政治学の博士号を得た。1890年、プリンストン大学で政治学・法学教授となった。学者として名声を得て、1902年には同大学の学長になった。1910年までその職を続けた。

 政治家としての活躍:アメリカ大統領選挙へ

 ウィルソンはすでに名声を得ていたため、民主党から政界進出を打診された。これを受け入れ、1910年にニュージャージー州の知事に立候補し、当選した。当時のアメリカは労使対立が大きな問題となっており、大統領のセオドア・ルーズベルトがこれに積極的に取り組んでいた。ウィルソンは州知事として同様に、大企業への規制強化や労働者保護の政策を実行し、注目を集めるようになっていった。

 1912年、大統領選挙が行われた。ウィルソンは民主党の大統領候補になった。「新しい自由」をスローガンにして、大企業の独占や寡占の問題などを主な争点として、改革主義政策を打ち出した。現職のルーズベルト大統領らに勝利し、第28代大統領に選ばれた。大統領の任期を二期務めることになる。

 第一期では、ウィルソンは大企業の独占を連邦取引委員会によって規制し、労働者などの労働時間の上限規制(1日8時間)などで利益を守り、児童労働を禁止し、関税を引き下げ、連邦準備法を制定して通貨を市場に弾力的に供給できるようにするなどの政策を実行していった。だが、人種差別問題にはほとんど手を付けなかった。対外的には、前政権と同様に、ラテンアメリカ地域への干渉や介入を続けた。

 第一次世界大戦:国際連盟の設立と民族自決の平和14か条

 1914年、ヨーロッパで第一次世界大戦が始まった。ウィルソンは当初、中立の立場を表明した。だが、ドイツ軍の攻撃によって、アメリカ人が犠牲になった。1916年、ウィルソンは大統領選挙に勝利し、第二期を開始した。その年末には、第一次世界大戦の交戦諸国にたいして、和平交渉を積極的に開始し、国際連盟の構想を打ち出した。

 だが、1917年2月のドイツ海軍の攻撃などにより、ウィルソンは中立方針を変えた。同年4月、アメリカが第一次世界大戦に参戦した。ウィルソンは国内で総動員体制を整え、フランスなどに援軍を派遣した。同時に、この戦争を終わらせる方法も案出した。1918年1月、平和十四か条を公表し、国際連盟の樹立と民族自決を訴えた。

 ウィルソンは戦争を終わらせるために、自らヨーロッパにわたり、パリ講和会議に参加した。1919年6月、ついにヴェルサイユ条約が締結され、戦争が終わった。この条約により、国際連盟が結成されることになった。また、ウィルソンはノーベル賞をえた。

 晩年

 ウィルソンがアメリカに帰国すると、議会はアメリカの国際連盟加入に反対した。アメリカの主権が制約を受けるなどの理由が提示された。ウィルソンは議会を説得できなかったため、全国に遊説して国民に直接訴え始めた。だが、過労で倒れた。1921年、大統領の任期を終え、政界から引退した。1924年、没した。

ウッドロー・ウィルソンの音声を無料で聞けます

 アメリカの国立国会図書館でウィルソンの音声を無料で聞けます(https://www.loc.gov/item/jukebox-132129/)。

 ウッドロー・ウィルソンと縁のある人物

セオドア・ルーズベルト:ウィルソンと大統領選挙で対決した前任のアメリカ大統領。ウィルソンとライバルだったが、政策的には共通する部分もあった。また、大統領時代には、当時の日本とロシアの戦争に深い関わりをもった。

ウッドロー・ウィルソンの肖像写真

ウッドロー・ウィルソン 利用条件はウェブサイトで確認

おすすめ参考文献

ウッドロー・ウイルソン 『議会と政府 : アメリカ政治の研究』小林孝輔, 田中勇訳, 文眞堂, 1978

長沼秀世『ウィルソン : 国際連盟の提唱者 』山川出版社, 2013

Ross A. Kennedy(ed.), A companion to Woodrow Wilson, Wiley-Blackwell, 2013

タイトルとURLをコピーしました